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27年前に千駄ヶ谷で、、。

27年前に千駄ヶ谷で、、。

電卓で計算してみた。
45−18=27  
東京に暮らし27年にもなるのか。
不思議だ。そんな時間が、、、。

田舎からでてきた当時、羽田からモノレールで同郷の友人と訛が気になり、隣の人に悟られぬよう小声で九州弁を話していたことを思い出す。ちょっと黄金色に染めれば良い感じの絵が撮れそうだ。

千駄ヶ谷の河合塾美術研究所(予備校)というところに通っていた。真っ暗な浪人生活だ。右も左もあったものではなかった。いつものように背中を丸めて予備校のガラス扉をあけ新宿ペペに向かい歩きだした。その日の不出来な自分の絵のことを考えながら、、。

3件隣のビルだったろうか、いかにも、高級中華といった佇まいのお店があった。一階には駐車場があり、そこから一台の車が今でてこようと構えていた。歩道をゆく私はアスファルトからチラリと左に目線を移した。

『おっ、』

2度見した。『芸能人たい(芸能人だ)』と心のなかでささやいた。
2度見された当人はなんの表情も変えずに運転席に鎮座していた。
『東京には、ほんなこて、(本当に)テレビで見た人のおっとばい。(いるのね〜)』と心臓がバクバク。でもその人は当時悪役のほうで売れていた方だったので、『見よったら、やばかって。(見てたらやばいよ)』といそいそと車の前をうつむいたまま固く不自然に通り過ぎていった。

店先は、まばらではあるが車の往来があった。
彼は用心深くなかなか車道にはでてこない。

『慎重んひとね。(慎重な方だな)』

このような丁寧な人から、道を譲っていただいたのだから、お礼ぐらいせねば九州男児の名がすたる。と、なぜか一旦通りすぎた道を4〜5歩戻り、運転席の中ををじっと見つめた。

相手からすると、一旦通り過ぎた男が後戻りしてきて正面きってこちらを見ている、、、。
彼は先程の態度を一変して少し身構え動揺しているようだった。

路面へ出ようと集中していた彼だが、あきらかにハンドルから私へと意識をシフトさせていた。
当時ストーカーなる言葉は無かった。オタくだって無かった。『何だ、何する気だ。』のみなぎっている表情に向って深々と頭を下げた。ひと呼吸して頭を上げてみると、その人は車のなかで『ひゃっひゃっひゃっ』っと体をくねらせ肩を上下に揺らし笑っていた。
車から音は一切漏れてこない。高級車だ。

散散、百恵ちゃんに意地悪したあの人が、、らしからぬ笑顔を見せている。『悪役は役たいね〜(役なんだな)』と一目見てわかる笑顔。。人間臭い温かみのある笑い顔には愉快愉快とふきだしがついているようだった。
笑いながら片手を上げる仕草が『おう、礼にはおよばないよ。』と言っているようだった。

長い暗黒浪人生活に残るほんのわずかな灯り。

私が東京にでてきた18歳。
27年前のエピソードなので当時、彼の年齢は63歳。。(そうだったのか。。)
テレビで今日、三国連太郎さんの訃報を聞いた。
あのとき間近に見たあの笑顔を今、宝物のように感じている。

取材などでお会いできたらあの時の事を直接お話できただろうか?

飢餓海峡を又、見てみようと思う、、。

どうぞ、安らかに、、、。





千駄ヶ谷お店跡、、ビルは当時のままだった。

  ここに立つのは何年ぶりだろう?お店はなくなっていたけれど、、ビルは当時のままだった。   
  2013年6月29日撮影。
 
  





  Blog『27年後に千駄ヶ谷で、、』につづく、、。
  
  コチラから↓
  http://morikoda.photoclover.com/index.php?QBlog-20130703-1






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