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備前をたずねて vol.1 『 登り窯 』

備前をたずねて vol.1 『 登り窯 』

登り窯の煙突


妻の実家、岡山に帰省する度に備前焼や倉敷グラスをちょっとだけ東京に持ち帰えっていた。
いつもの料理が備前焼の上にのるだけで暖かく美味しそうに見えるのが不思議だ。
小振りの倉敷ワイングラスで赤を頂くか、或は熱燗を備前の徳利におちょこでいくか?
岡山をテーブルの上で楽しむ時間ができていた。

妻が高校生のとき美術研究所へ通っていたことを日頃よく話している。
その中で備前焼窯元を父に持つ同級生がいたことが印象に残っていた。
彼と一緒にグループ展をしていると父親が着物姿で現れ、
入室するなり芳名帳に鉛筆の組み合わせを見て『お客様に失礼だ。』と然ったという。
彼は直立で『ハイ』と返事をして、直ぐに筆ペンを買いにでたそうだ。
高校卒業後、東京造形大学で彫刻を専攻し、スペインバルセロナへ2年留学。

予備校以来ご無沙汰していたのだが、Facebookのおかげで繋がった。
今回帰省の折、遊びに行く旨メッセンジャーで約束ができた。


工房の窓から見えるサルスベリ


野生の鹿がやってくる、小高い山の中腹に備前焼き作家、武用崇さんの窯元はあった。
西日本豪雨では倉敷の真備町被災がメディアで報道されていたが、
来る途中、小さな橋の上に土砂で地面が見えなくなっていた。
この界隈でも被害があったことが、すぐにわかった。


登り窯

赤松の薪

工房前


妻も久しぶりの再会、両親、息子と私など突然の訪問にも大変親切に備前焼の話を聞かせて頂いた。
日本六古窯(ろっこよう)(瀬戸、常滑、越前、信楽、丹羽、備前)のなかでも備前焼は
日本最古の焼き物であること。
釉薬を使わず、素朴な土の風合いをいかした器を見ていると、そのことはすぐに納得がいった。
千年の時を越え尚、備前焼は今もこの地で存在し続けているのだ。

登り窯の中に入ってみたら。
登り窯の中に入ってみたら。

赤松の灰 窯の中に粘土の陶器を配置するとき、器の底と地面の接点にこの灰を付けておくことで、焼き上がった後、地面との固着を防ぐ効果がある。
赤松の灰 窯の中に粘土の陶器を配置するとき、器の底と地面の接点にこの灰を付けておくことで、
焼き上がった後、地面との固着を防ぐ効果がある。



昼夜問わず赤松の薪をくべてゆく、幾日をかけ千度を越える熱を持つ登り窯。
ここで、土の風合いを纏ったまま、ガラス質のような硬い物体へと変化してゆくのだ。
『壮大なたき火。』と彼はその時を表現し、人生で一度は体験するといいと思うよ、と笑って言った。


 備前焼き作家 武用崇 (ぶよう たかし)

備前焼き作家 武用崇 (ぶよう たかし)


粘土の在処や採取はその道のプロがいること、
自信の登り釜で焼くことは不定期であり年に数度であること、
仲間と共同で行き来し、他の窯で焼くときに自作を入れてもらうときがあるなど、
お話を伺うと興味深いことばかりだった。

工房に移動して粘土を初めて見たとき、備前焼の色とは随分違う印象に驚いた。
勝手になんとなく茶系、土色であると思っていたが、想像よりも黒っぽく無彩色のように感じた。
焼き上がりのあのような色は、登り釜でないとだせないそうだ。
薪で燻され、その置かれた場所で違ったものがそれぞれ滲み出てくるようだ。
同じ粘土を用いてガスで焼いた場合、
それはそれで全く違った表情をみせている。


鷲掴みの粘土


次回、轆轤を回す手へつづく。。



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