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雨上がる

雨上がる

VIVA VERANDA FARMER Vol.20


線状降水帯が去った。
激しく降り続く雨は恐ろしいが、雨が悪い訳でないように思う。
雨はおかしくなった何かを戻そうとしているのではないか?
大量の雨や風が、何の理由もなく、こうなっているとは考え難い。
急激に冷やし自身を修復しようとしているのか?
或いは、コントロール不能で荒れ狂っているだけなのか?
テレビからは、只々、不安だけが掻き立てられる。
何の解答も得れないままで。


雨上がる 写真 幸田森


大河ドラマを見ていると史実かな?
と疑問の演出が間々あり、ムズムズする。
歴史家は史実を当時の資料(一次資料)で確かめている。
鎌倉時代のものであれば、その時代の手紙や議事録、日記なども参考にする。
後年に書かれた資料、例えば江戸あたりのものは史実を脚色した物語として創作が多く含まれてゆく。
後年の資料とは、言わば、江戸作、鎌倉時代の大河ドラマ。になる。

頼りの一次資料でも、誇張は多々みえる。
書いている人や、書かせている者の立場もあろだろう。
誇張は史実から脱線、たちまちドラマの様相を呈する。
そうなると、何処にも史実を見つけることが困難であるように思えてくる。


雨上がる


「こうだったらいいな?」

と思った瞬間にその方向へと物語を創造するのが人間。
史実は物語と抜き差しならぬ関係で絡まってゆく。

トランプの信者が議会に突入。

単純な思考は単純さを求めドラマ(物語)化しているように見える。
物語の方が、事実を丹念に追うよりも、手軽に納得する事が出来る。
割り切る答えは受け入れやすく、
深みのある陰影や色彩など必要ない。
単純な境界線を描く絵で充分なようだ。
寧ろ記号を好んでいるようにも思える。

答えが無い。という答えは不安で受け入れ難いのだと思う。
ん、難いと言うほど深刻でもないのだろう、
快か不快かとう程度で処理をしているのかも。



雨上がる


人間にとって現実とは脳内のドラマを透かして生きていることのようにも思えてくる?
そもそも、現実とは何だろう?と、

いやいや、線状降水帯は現実。
先日、父が他界したことも。
私が56歳になっていることも。
これを書いているとき、我が子がシャワーを浴びながら、
裏声で念仏のような歌のようなものを唱えている事も。
夜遊びがどうとか、こうとか?、、?


クレマチス

私はお酒をやめて3年目になった。
ブログのタイトルは「酔って候えど」だが、
事実は「酔っては御座らぬが」だ。

ベランダファーマーとして野菜やハーブを作っていたが、
今は、草花の割合が多い。。
ファーマーも返上すべきだが、心意気で名乗っている。

ここ数年、コロナを通過して趣が違ってきたようだ。

ここに虚も実も記しておこう。

思うままに書くと散文になる。
どれも関係ないように思えるが、
当人の中で割り切れることなく、
バランスは成立している。

「それは、貴方の感想ですよね。」

という言葉が聞こえてきそうだが。。


雨水

この雨でベランダの植物達3日分の水を確保。
1.8Lのお酢の入っていたボトル3本が1日分に必要だ。
3日分、ザックリ15L。
水が入りそうなものでアレコレと受けとめてみた。
最近厄介な雨だが、こうしてみると、やはり恵みを感じる。

次は雨水タンクをどうにか作ってみようと思う。

植物は雨水の方が水道水よりも喜んで反応しているように感じるのは、
私の思い込み(物語)だろうか?




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